自分の正義の主張のために、味方を集めるのはもうやめようと思う

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どうも、鯉沼(@koichan888)です。

いつも、読んでいただきまして、本当に、ありがとうございます♪

本日も、最後まで、おつきあいいただければ嬉しいです。

それでは、今日も元気にまいりましょう!

自分の意見や考え方、主張などを強く伝えたいがために、周りの人や多くの人を取り囲み、自分が正しいことを数を持って伝えようとする人がいると思うんですね。

周りの人取り込めば取り込むほど、自分は正義の象徴だと思い、少しだけ強くなった気分になるのでしょうけど。

でも、それは、逆のことを意味するような気がする。

その持っている正義は、正義ではなく、ただの甘えなのではないでしょうか?

そんな疑問が出てきたので、今日は、その議題です。

自分の正義に味方などいらない

自分の意見を通したい時に、いろんな人を同情や感情論で、強く訴えて、自分の意見が正しいことや、何よりも、自分の正義が一番に正しいと伝えることは、果たして良いことなのでしょうか?

とにかく、自分の今いる立場や、大変な思いや、不平等だと訴え、自分が、いかに大変な状況にいるかを理解してくれるそうな人だけを探して、そこに、強く訴えている。

その話を聞いた人は、あの人がどんなに大変な状況なのかを知り、それを改善しようと、勇者のような気持ちになり、その人よりも前に出て、その意見を突き通そうとする。

なぜだかわからないけれども、そんな勇者ような気持ちになった人が、強く意見を述べている時、ボクにとっては、とても痛々しく思えてしまうんです。

なぜならば、ボクも実際、勇者のような気持ちになって、誰かの代弁者のように、さらに強く意見を伝えていた側だからなんです。

他人の正義さを主張することは他人の悪を主張すること

何よりも、他人の意見を代弁として伝えることは、とてもダサい。

自分の意見を言わさせている人も、自信のなさを露呈しているし、さらには勇者のような気持ちになって、誰かの意見を強く伝えている人は、結局は、自分がないような状態になっている。

何よりも生きることで、自分がないような生き方をする人は、生きることの意味から
強く外れてしまっているように感じるんですね。

意見や、考え方というのは、個人個人が一人一人が、個々として言うことで、その考えの強さや、自信や、その人の生き方までが、主張できるのに、そこに、他人の意見をまぜてしまうと、すべての主張や言葉にチカラを持たなくなってしまうって思うんです。

自分の反対の意見を否定するための数集め

さらに、怖いのが、他人を巻き込み、他人を感情論や辛い状況などを話して、取り込み、自分の意見を強くするためだけの状況だけだったらまだいいんです。

それが、自分とは、反対側の意見の人の否定に使うということだけは、本当に避けたい。

自分の意見を強くするために、いろんな人を巻き込み、さらにはその反対意見の人の悪口や陰口で、さらに、仲間意識を高めて、自分が、どれだけ正義感が強いかを熱弁する人がいるんですが・・・。

とても、とても残念です。

そんな状況下にいると、すべてがネガティブな視線しか持たなくなり、反対側の人が嫌いになり、反対側に関わる人はすべて悪だと思ってしまうロジックにはまってしまう。

そうなると、すべてが、ネガティブな感情と、ネガティブな視線しか持たなくなり、たとえ、風が吹いてもすべて反対側が悪いような見方でしか見れなくなってしまいます。

そうすると、すべての人を自分の味方側か、自分の敵側か、というわけのわからない区別をして、自分の味方側にいる人には、有り余るほどの愛情をとめどなく送り、自分の敵側にいる人にはすべての行動や言動に否定的な感情を生み出すようになるわけです。

自分の正義に、敵も味方もいない

自分の考え方や、自分の持っている正義感に敵も味方もいません。

人を区別すること、考え方を区別することに、何も良いことは起きません。

正義か、悪かで、判断すること自体が、すべて間違いのはじまりです。

いろんな意見があっていいのです。

人も形や心も違うように、意見や考え方、正義もいろんな形や心があるのです。

そんなふうに、考え方や意見を区別するようになると、自分自身も区別されるような、そんな環境に追い込まれます。

そんなふうに、人を味方か敵で区別するようになると、自分自身も区別されるような、そんな状況に追い込まれます。

人の意見に、良いも悪いもない

人や意見に良い悪いはありません。

人や意見の中に違いはあっても、みんな幸せの方向へ向かいたいという、必ず同じ目指すところにたどり着くのです。

賛成数が多いからそれは正しくなるとか、同じ意見の人が他にいないことが世間的にダメな考えであるとか、そんな小さな世界の中で生きることはもうやめよう。

もっと、大きな世界に目を向け、意見が違うくらいで自分の人生は揺るがない、自分の反対側の意見の人がいたとしても、その方たちに攻撃的になるのではなく、その方たちの世界に触れることの喜びや、新しい考え方に出会えることの学びを得る方が絶対にいいと思うのです。

もっと自信をもって良いのです。

否定する人がいるならば、人間の数や意見が強さで勝負するのではなくて、どれだけ自分が幸せ感を感じることができているのか、どれだけ自分が毎日笑顔の中に包まれそして笑顔を発しているのかで、勝負した方が絶対にプラスになるから。

もうすでに、十分価値があるところに、ボクたちは、存在しているのです。

ボクたちの価値は、人間の数や、意見の強さで強くなるものではありません。

ただそこで笑顔絶やさないだけで、あなたの人間価値と、あなたの人生がただ輝いてしまうのです。

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