人を信じるのが、怖くなった瞬間

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ボクが心がけた5つのこと ― 人間不信を克服するために

「信頼していた人に裏切られた」

「もう誰も信じられない」

胸を切り裂かれるような、

つらい自体に直面しました。

心無い言葉や、攻撃的な態度。

傷つけられた心は、そう簡単に癒えません。

ボク自身、

「もう二度とこんな思いはしたくない」

・・・と心を閉ざし、

人付き合いにおびえる日々もありました。

ボクの見た目からは、

嘘だぁーーといわれますがww

何とか傷口がふさがり、

少しずつ気持ちが落ち着いてきた頃、

ボクは、人との向き合い方について

少しずつ、少しずつ考え始めました。

そして行き着いた、ボクなりの答え。

まだまだ、模索中ではありますが、

ここに書き留めておこうと思います。

気持ちを落ち着かせるための5ステップ

「もう、誰も、何も、信じられない!」

・・・と、感情が、高ぶったとき、

気持ちを落ち着かせるために

ボクは、次の5つのことを心がけました。

1. 信じられるところを探す

まずは、

今の心の状態を知るために、

自分自身に、問いかけます。

今、自分の素直な気持ちを

話せる人は、周りにいない?

誰か

「ちょっと信じてみてもいいかな」

・・・という人はいないかな?

信じられる人がいないなら…。

人以外に

何か信じていることはない?

何も思いつかないときは、

呼吸に、ゆっくりと意識を向けます。

そして、

「『次の瞬間に吸う酸素が

 なかったらどうしよう!』と

 思ったことは一回もないな」

・・・と考えます。

あるいは、タクシーに乗車しているとき。

「反対車線を走っている車が

 こっちにはみ出してきたらどうしよう!」

・・・とは、一切、考えません。

たとえ目には見えなくても、

空気中に酸素があると信じているから、

ボクは、呼吸の心配をすることはありません。

交通ルールも

「みんなが守るもの」

・・・と信じているから成り立つ。

さらに、

普段の生活を思い浮かべてみます。

ボクは、

「街ですれ違うサラリーマンは、

 自分自身を脅さない、脅かさない」

・・・から出かけられるし、

「コンビニ定員に殴られることはない」

・・・から、コンビニを気軽に利用できる。

意識することはなくても、

そう、なにげなく信じています。

世の中の人間は

獰猛な野生動物ではない、と。

そうすると、ボクの中にも、

確かに、人を信じる能力が

備わっていることに気づきます。

きっと「何も信じられない」ではなくて

「信じられないと思うことが多い」だけ。

ちょっとのことですが、

かなり、ニュアンスが違います。

「信じられない」と悩むのは、

「信じたい」という気持ち、思いの

おもいっきり裏返しなのかもしれない。

ある人はこう言いました。

「誰も信じられないと思っている人は、『誰も信じられない』ということを

めちゃめちゃ信じている」と・・・。

人に対する強い恐れによって、

社会生活に支障をきたす重い症状が出ている場合は、

専門家に相談することをおすすめします。

2. 信じる心を育てる

自分自身の信じる力に

少し気づいたところで、次のステップです。

一つ一つ自分が

無意識のうちに信じているものを探します。

具体例として、

ボクの「信じていること」を挙げると…

  • 地球の重力(体は宙に浮かない)
  • 裸で街を歩くのは恥ずかしい
  • テレビから貞子は這い出してこない

くだらなくて、すみません。

それでも、まずは

思いつくままに書き出していきます。

  • スーパーへ買い物に行って、会計時に無視されることはない
  • 知らない人に突然ビンタされることはない
  • 家の扉を打ち破って侵入してくる人はいない

もちろん0%ではありませんが、

こういったことを想定しながら

生活している人は少ないと思います。

・・・ということは、

人に対する信頼はゼロじゃない。

もし、今信じられることが、

ひとつあったとして・・・。

それが、1年後10個になっていたら、

かなり「信じる心」が豊かになった

・・・と言えませんか? これ、すごい。

そう自分に言い聞かせながら。

どんなに些細なことでも

コツコツ積み重ねていけば、

確実に、信じる気持ちが磨かれていくはず。

そのためにも、

「信じているもの探し」を続けていきたい。

「これは信じられるかな?」

・・・といろいろ試しながら、宝探しの感覚で。

3. 信じたくない人は信じない

さて、人間すべてを疑っている

・・・わけではないんだなぁと

わかったところで、

次のステップに移りましょう。

あなたが信じられない相手は誰ですか?

家族?

友達?

恋人?

上司?

部下?

同僚?

先生?

それとも、

これから出会うであろう人?

どんな相手であろうと、

「信じなければ!」

・・・と無理をする必要はありません。

ボクは

「別に人を信じられなくてもいいんじゃない?」

・・・と考えています。

「信じなければ!」

・・・というなんか意味分からない

考え方に、縛られているとですね。

めちゃくちゃ、苦しくて関係が、

ギスギスしてしまいそうだから・・・。

少なくとも、自分に

「信じられない」

・・・という考えを

植え付けた相手は、

信じなくてもいーや、って。

実際、

世の中には悪い人もいますから、

だまされないよう慎重になることも必要。

盲目的になって

自分の頭で考えることを怠ると、

痛い目を見ることになります。

・・・というのは、

ボク自身の失敗から得た学びです。

相手を見極めるために疑う。

それは

人を信じるための第一歩です。

4. 予想はしても期待はしない

「信頼していた人に裏切られた」

「だまされて大きな損害を受けた」

そのような経験をすれば、

人を信じるのが怖くなります。

「きっとこの人も私を裏切るにに違いない」

「この人は私をだますために近寄ってきたんだ」

そう考えてしまうのも仕方ないこと。

ただ、そこに

「普通ならこうあるべきでしょ?」

「ボクはこうしてほしかったのに!」

・・・という期待を寄せていると、

余計に、嫌悪感が高まり、強まります。

「人として

 このような愚行は許されない」

道徳的・倫理的な観念で

自分を強く律している人ほど、

非常識な言動が許せないのかもしれません。

他人の思考や行動を

コントロールすることはできません。

「相手の考えは変えられない」

「起こったことはもうしょーがない」

・・・とあきらめる。

頭ごなしに否定せず、

「へー、そうなんだ」と応答する。

期待を捨てれば、

気持ちはラクになります。

5.「信じる」「信じない」以外の選択をする

親しければ、親しいほど、

その人の長所と短所がよく見えてきます。

それゆえ、

「信じられる面もあるけれど、

 ここだけは不信感がぬぐえない」

・・・という、複雑な思いが生まれます。

信じるか、

信じないか、

どちらかに決めてしまえば

簡単ですが、人間関係というものは、

そんな、単純なものではありません。

そんなときは、

答えを曖昧なままにして放置。

「信じたいような、

 信じたくないような……」

「信じられるところが

 ないわけではないけど、信じられない……」

中途半端で気持ちは、

スッキリしませんが、

これこそが一番正しい答え

・・・なのかもしれません。

人の気持ちはマーブル模様。

そのまんまを、そのまんまに。

おわりに

大切な人に裏切られたときの

ダメージは破壊的で、心を粉々にします。

そのつらさは、

経験した人にしかわからない

深い悲しみに満ちたものです。

簡単に、癒える傷ではありません。

ただ、最近思うのは、

「裏切られた!」

「だまされた!」

・・・という言葉が

より大きな苦悩を作り出しているの

・・・かもしれないなぁということ。

そういった言葉で、

つらい出来事を語るたびに

不適切な行為がクローズアップされて、

その前後の文脈が

抜け落ちてしまうような気がするんです。

「裏切り」という強固な物語が

でき上がってしまうような感じ。

もちろん、不誠実な人の言動を

肯定することなんてできないし、

それにより、受けた悲しみは計り知れません。

思う存分、憎めばいいと思います。

ただ、できる限り、冷静に憎みたい。

あるいは、ただ悲しみを悲しみたい。

そんなの無理なんですけど、

激しい感情にのみ込まれると

自分自身の大切な部分まで

流されてしまうように感じます。

それが何かと問われたら

うまく言えないのですが、

できることなら、

ありのままをありのままに

心から受け入れたいところです。

まぁ、それを実行できるのは、

悟りの境地に辿り着いた仙人ぐらいでしょ?

・・・とも思ってしまいます。

「すべてを受け入れる」

・・・なんて聖者じゃないんだから。

人は、簡単に変わることはできません。

そのことを忘れず、

ぼちぼち「宝探し」をしていきたいもの。

信じられない部分があっていいし、

ほんの1ミリでも

相手を肯定できる部分を見つけれられたら、

それが何かのきっかけになるかもしれません。

あなたの心の痛みが

少しでも和らぎますように・・・。

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