大義名分って、なんだって話。

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この記事の所要時間: 51

もしも、こんなこと言われたらどうします?

イラッと、する行動をする学生がいた。

おい!舐めんなよ!

爺さん、婆さん、若造ども。

若いから仕方ない。許してあげよう。

「なんだ、それ?」

おい、爺さん、婆さん、それおかしくねぇか?

自分的に、

そんな育ちした覚えないですけど・・・。

なんか世の中甘くなったんですかね?

行動するために必要なのは、

理由ではなく「大義名分」じゃないって話。

ボクは、人が行動を起こすために

本当に、必要なのは、

「大義名分」

・・・ではないかと考えています。

大義名分って・・・いうのは、

儒教に由来する考え方で、

本来は臣下として守るべき道義や節度、

出処進退などのあり方を指した。

今日では転じて、

「行動を起こすにあたって

その正当性を主張するための

道理・根拠」を指す事が多い。

出典:大義名分 – Wikipedia

・・・という意味の言葉で、

要するに、自分が行うこと・行っていること。

それが、正しいことであると

胸を張って言えるかどうかに関わってきます。

ただし、そのこと自体が

本当に“正しいこと”である必要はありません。

重要なのは、

“胸を張って正しいと言えるかどうか”。

この世の中、

本当に正しいかなんてわからないことばかり。

そんな中で、何かを決断し

実際の行動に移していくために必要なのは、

“自分がそれを正しいと思えるかどうか”なのです。

「大義名分」という日本人の歴史

さて、大義名分なき行動には、

どんな結果が待っているのでしょうか?

この問いに対するヒントは、

日本人の歩んできた歴史にありそうです。

よく大河ドラマなどで武将たちが、

「大義名分は我らにあり」という

台詞を口にするのを見かけますよね?

逆に、

「我らには、大義名分がなく、

兵の士気が下がっております」

・・・なんていう、

冷静な参謀役の台詞も聞いたことがあります。

そして大抵の場合、

大義名分なき軍が

大義名分を持つ軍に

勝てることはありません。

また、例え自分に大義名分があろうと、

相手にも相手なりの大義名分があります。

つまり戦に勝つためには、最低でも自らの

「大義名分」だけは持っている必要があったのです。

「大義名分」は自ら掲げられなくてはならない

「大義名分」とは、

自分の行動を正しいと主張するための

根拠や、道理だということを書きました。

それでは、「大義名分」というのは、

ただ単に持ってさえいれば良いものなのか?

例えば、

「なぜあなたはそれをやっているのですか?」

・・・と誰かに聞かれて、そこで初めて

「~だから」という根拠・道理を示したとします。

これは「大義名分」と呼べるのでしょうか?

恐らくその答えは、

ちょっと違うように感じます。

自分が掲げる前に誰かに問われたそれは、

その瞬間ただの「理由」になってしまいます。

「論理的過ぎる思考は時に危険を招く」

でも述べたように、

理由というのは所詮

「後付け」に過ぎません。

極端に言えば、

それは言い訳のようなものです。

要するに「大義名分」というものは、

誰に聞かれるでもなく自ら進んで

掲げられなくてはなりません。

かの戦国武将たちが

「大義名分は我らにあり~!」

・・・と大きな声で叫びながら

敵陣へと切り込むように、

誰に聞かれるでもなく

胸を張って掲げられることこそ、

これが「大義名分」なのです。

まとめ

大義名分のない軍の兵士も、

命令されれば一応は戦います。

しかし、結局は、

大義名分を持つ軍に淘汰されていく。

つまり、

大義名分のない行動には、

なかなか継続性が伴いません。

何をやっても

上手くいかなかったり

途中でやめてしまう人って多いんです。

なかなか行動に移せず、

怠惰な生活を送っている人。

そんな方は、自分の行動に

「大義名分」という旗印を

掲げてみると良いかもしれません。

ボクたちが今行っていることには、

どんな大義名分があるのでしょうか?

そして、それを、

自ら進んで掲げられているのだろうか?

もしそうでないとしたら、それはただの

「理由」になっているのかもしれません。